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雨の日





「雨が降ってるから、お散歩に行けなくて残念ね」

 耳元でささやかれる甘い声は、物心ついた時からいつもそばにあったものだ。


「お外に出たいの?でも、今お外に出たら、ずぶ濡れになって風邪をひいちゃうわよ?」


 宥めるように背中を撫でる小さな掌の温もりも、ずっとずっと自身の傍らにあり続けた。



「……だから……今日は、お部屋で遊びましょう、マルコシアス?」



 包み込むように自身を抱くその胸の中は、 産まれ落ちてすぐに拾われた時と全く変わらず柔らかかった……。


















あめのひ












 地獄の底にも雨は降る。煙るような雨が大地に落ちる雨音以外の音がない広い部屋の中で、マルコシアスはその血色の瞳をゆっくりと開けた。 
 恐らく、執務中に襲ってきた睡魔に耐え切れず、机に突っ伏すような恰好で眠ってしまったのだろう。腕の下には蚯蚓がのたくったような線が描かれた紙が散らばっている。どうあがいても解読不可能な書類をゴミ箱に投げ入れながら、第七座天使の侯爵は顎が外れんばかりに大口を開けて盛大なあくびを洩らした。
 狼の本来の主な仕事は、餌を捕るための縄張りを見張ることと、群れの仲魔を守ること。そして、いざという時の体力を蓄えおくために、眠ることも重要な仕事であった。狼の狩猟法は獲物をしとめるまで何時間でも追跡を続けるため、かなりの体力を確保しておかなくてはならない。そのため、狼はよく眠るのだ。餌を食べて満腹になると、あとはひたすら眠り、次の狩猟に備える。
 第七座天使の侯爵として人の姿を得るようになってかなりの年月を経た今でも、獣の本能は彼の身体の中に脈々と息づいているらしい。獲物の取れる確率の少ない雨の日など、狼にとっては絶好の昼寝日和であったのだろう。
 吟遊公爵の庇護下に置かれ、敵を見張る必要も餌を捕まえる必要もなくなったマルコシアスではあるが、長い歴史の中で培われた本能がまったく消え去ったわけではない。 
 ……というより、餌を捕る必要がなくなり、眠ることに専念できるようになっためなのだろう。第七座天使の侯爵の睡眠欲は高まるばかりだ。
 ふと眺めた窓の向こうでは、灰色の空から大地に降り注ぐ細い細い銀色の糸は、荒れ果てて乾いた地獄の大地を潤しながら降り続けている。湿った空気に重く痺れる節々の気だるさと、今まで見ていた遠く甘い夢の残滓を振り払うかのように……。椅子の上で身体を伸ばしたマルコシアスは、まとめなければならない資料を手に取った。
 ……………………が……。
 いい加減、仕事に熱中しなければならないということはわかって這いうるものの、全く気勢が上がらないのだ。視線は紙面の文字を追ってはいるものの、それがどういう意味をもった文字列であるかを理解・判断することを脳が拒んでいるかのようだ。
 やる気もなさそうに頬杖をつき、だらだらと資料を読み流す第七座天使の侯爵に、容赦ない睡魔が再び襲いかかってくる。徐々に徐々に遠ざかっていく諸感覚の流れに身を任せようと、机に突っ伏したマルコシアスが瞳を閉じようとした時……。
 部屋に充満する弛んだ空気を吹き飛ばすかのように、ノックの音が飛び込んできた。
 漂っていた睡魔を吹き飛ばされたマルコシアスの眉間に、深い皺が寄せられた。午睡を邪魔された第七座天使の侯爵様のお怒りは存外に深いらしい。不機嫌そうな表情を隠すことなく机から頭を上げたマルコシアスの返事も待たず、執務室のドアが遠慮がちに開けられる。細く開けられたドアの隙間からは、よくよく見なれた白いベールが覗いていた。

「………………何してんだ、馬鹿モリー……」

「んとね、勇猛公から書類を預かったものだから……様子見ついでに寄ってみたの」

「勘弁してくれ……雨ってだけでだるいってのに、これ以上仕事が増えるのかよ……」

 瞳を眇めるマルコシアスに臆することなく微笑む少女――吟遊公爵・グレモリーが、携えて来た何冊かのパートファイルを示して見せる。空軍の同僚であるナベリウスから託されたというそれは見るからに分厚く、マルコシアスの眉間の皺が一気に深くなった。
 うんざりした様子で額に手を当てるマルコシアスを視界の端に捕らえつつ、クスクスと小さな笑い声を洩らしたグレモリーがゆっくりと足を進める。執務室に敷かれている絨毯が足音を飲みこむせいか、聞こえるのはさやさやとした衣擦れの音だけだ。
 改めて机の上に置かれたファイルの厚さに、溜め息をついたマルコシアスが盛大に顔をしかめる。舌打ちをしながら髪を掻き毟る第七座天使の侯爵の頭に、吟遊公爵の白く小さな手が伸ばされた。
 不貞腐れた子供のようにそっぽを向くマルコシアスの口から出る言葉は、ずいぶんと子供染みたものだった。だが、おそらく。口を開く彼自身も、その子供っぽさに気付いているのだろう。宥めるように髪を撫で梳かれる第七座天使の侯爵の視線が、どんどん下に伏せられていく。
 所在無げに窓の外を眺めるマルコシアスを見つめるグレモリーの顔に、呆れ苦笑の入り混じった複雑な笑みが浮かんでいく。そして、第七座天使の侯爵の視線が、完全に吟遊公爵から逸らされたとき……。
 吟遊公爵の細い腕は、第七座天使の身体をしっかりと捕らえていた。

「…………マルコシアスは、本当に雨が嫌いなのねぇ」

「雨が降って喜ぶのは、水軍の連中くらいなモンだろ。濡れるわだるいわで良いことなんざ一つもねぇよ」

「でも、雨に濡れて埃が落ちた花の色とか、草の色とかはものすごく綺麗よ……?」

「……………………興味ねぇな……」

「それに……………………ほら……見て、マルコシアス。雨が上がるわ、光と共に……」

 あまりに突然の出来事で、上手く対処できなかったのだろう。とっさに身動きの取れなかったマルコシアスの頭を胸に押し付け、グレモリーはそっと彼の背中を叩く。あやされるように一定のリズムを保って叩かれるその感触に、マルコシアスは思わず息を飲んだ。
 子供のように扱われていることに気が付いてはいるのだが、いかんせんあやす手の感触が心地よすぎるのだ。
 宥めるように背中を撫でる温かく小さな手も、静かに上下する柔らかな胸も、耳元で聞こえる甘い声も…。そのいずれもが、マルコシアスの脳髄を溶かすように彼の中に入り込んでくる。
 まるで揺り篭の中にでも入れられているかのような感覚に、第七座天使の侯爵は、吟遊公爵の胸の中でそっと瞳を閉じた。耳に聞こえるのは、次第に弱まる雨だれの音と、静かに命を刻む吟遊公爵の鼓動くらいなものだ。
 鈴を振るようなグレモリーの声に促されるように、マルコシアスは彼女の腕に抱かれたまま、ゆっくりと窓へと視線を向けた。カーテンの隙間から見える景色は、洗われたように新鮮な色彩を取り戻している。
 ……そして……。
 今まで空に垂れ込めていた分厚い雲の切れ間から、幾筋にも光が地上に降り注いでいた。それは空から光のシャワーが降り注いでいるようにも、天から光の梯子が下ろされているようにも見える。
 ただただ光に魅入るマルコシアスを開放し、グレモリーが窓辺へと近づいた。今まで自身を包んでいた柔らかな温もりが消えたことに気が付いたマルコシアスが不服そうに鼻を鳴らすのに苦笑を洩らしながら、グレモリーはゆっくりと窓を押し開ける。窓枠や桟に瀟洒な細工を施された窓はかなり大きく、長身のマルコシアスですらも楽に出入りができるほどだ。
 湿った土と緑のにおいがどっと室内に押し寄せてくる中。身を乗り出して外を眺めていたグレモリーがくるりと踵を返し、そのままつかつかとマルコシアスに歩み寄っっていく。怪訝そうに眉根を寄せるマルコシアスに笑いかけながら……吟遊公爵の白い両掌が、浅黒く日に焼けた第七座天使の侯爵の頬をそっと包みこんだ。

「私は、雨降りの日も大好きよ、マルコシアス」

「……………………お前、そんなに雨の日が好きだったか?」

「ええ、好きよ。雨に濡れる草木も、雨で煙った景色も、湿った土と緑の匂いも、水に満たされる大地も、雨上がりの太陽の光も……」

 マルコシアスと視線を合わせつつ静かに言葉を紡ぐグレモリーの後ろには、慈雨に洗われた緑が広がっていた。
 荒れ果てた地獄の底に根を下ろし、命を花開かせた命達は、先ほどの雨でからからに乾いた身体を潤せたらしい。風が運んでくるむせ返るほどの土と緑と花の匂いが、マルコシアスの鼻先をくすぐっていく。

「それに、ね…………雨の日は、マルコシアスと一緒にいられるから、私は雨の日が大好きなの」

 予想外のグレモリーの言葉に、マルコシアスが思わず彼女を振り仰ぐ。その無防備にさらされた額に、くすくすと笑い声を零したグレモリーがそっと唇を落とした。
 幼い時と何一つ変わらない吟遊公爵の笑顔に、第七座天使の侯爵は瞳を眇める。そろそろ、幼子のように扱われていることに限界を感じ始めたのだろう。
 頬から離れていくグレモリーの手を、一回り大きなマルコシアスの掌がぐっと鷲掴んだ。そのまま彼女を勢いよく引き寄せ、バランスを崩した小さな身体ごと彼女の身体を抱き上げてしまう。
 にぃっと唇の端を吊り上げて笑うマルコシアスに担がれて、グレモリーが抗議の悲鳴を上げる。大柄なマルコシアスの肩に担ぎ上げられた上、太腿と足首をがっちりと固定されては、小柄なグレモリーに逃げ出すことなどできはしない。それどころか、唯一自由な両手で背中をぽかぽかと叩いても、第七座天使の侯爵が堪えた様子はまるでない。
 ……というよりむしろ、グレモリーが抵抗すればするほど、彼の顔に浮かぶ意地の悪い笑みはどんどん深まっていくようだ。
 じたばたと抵抗を続ける吟遊公爵を担ぎ上げたまま、第七座天使の侯爵は間続きになっている小部屋のドアを蹴り開けた。少し小さめの寝台とサイドテーブルがあるだけの部屋ではあるが、執務の合間に仮眠を取る程度のことは十分できる。
 その小さな寝台に、グレモリーを投げ出し……。マルコシアスは、何とか起き上がろうとする小さな身体に覆いかぶさるように圧し掛かった。

「っっ、ひゃっ!?ま……マルコシアスっっ!?!?」

「大人しくしてろ、馬鹿モリー。そんなに好きなら、もうしばらく一緒にいてもらおうじゃねえか」

「え……で、でも、お仕事、まだ、残って……」

「喧しい!ちっとは大人しくしてろ、馬鹿主!!」

 褥の上で身を捩る吟遊公爵を、第七座天使の侯爵は上から押さえつけた。割り開かれた脚の間に自身の身体を割りこませ、驚愕に見開かれている瞳を覗いきながら耳元で囁く。
 状況が把握しきれていないのか、はたまた状況を把握したせいでパニックに陥っているのか……。しきりに視線を彷徨わせるグレモリーの頭から毛布を被せ、マルコシアスは彼女を自身の胸へと引き寄せた。

 先ほどまで、あれほど気になっていた気だるさはもう感じない。むしろ、茫洋としたぬるま湯に全身が浸かっているような奇妙な安堵と快感に、身体の芯からほどけていくようだ。
 いつの間にか抵抗することを諦めたのか、呆れたような笑みを浮かべる吟遊公爵に抱かれながら……今やすっかり大きくなった狼は、ゆっくりと瞳を閉じた。











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何処までも晴れた空の下



 地獄の最下層にそびえ立つ宮殿……万聖殿とは真逆の存在であるその建物は、貴金属と宝石を惜しげもなく使って壮麗に、そして絢爛に作られている。巨大な都市そのものともいえる宮殿には、魔王・ルシファーを長として、すべての悪魔が集っていた。万魔殿……悪魔のすべてが集う場所、と呼ばれる所以である。
 そして、その巨大な宮殿の一番上……擬似太陽が穏やかな光を投げかける空中庭園で、巨大な獣と小さな少女が戯れていた。


「…………わー……わんこに鎖骨がないって本当だったのねぇ…」

「……………………………犬じゃねぇ…狼だ…………………つーかこれセクハラだろ、馬鹿モリー」

「違うもん。解剖学的好奇心による生体観察だもん」


 萌え出たばかりの柔らかな芝生の上にいるのは、背中に一対の翼をもった狼だ。ごろりと芝生の上に寝転がりながら、半ば呆れたように鼻を鳴らして自身の腹に顔を埋める少女の好きなようにさせている。
 そんな不貞腐れたような狼の背中に腕を回している少女にしか見えない見えない悪魔王は、それはもう幸せそうに微笑んでいた。その陶酔ぶりときたら、闇色の毛玉と化した狼王の恨みがましい視線さえ気にならない程らしい。
 にへーっと弛み切った笑みを浮かべた少女――グレモリーの腕は、腕いっぱいに抱きしめた毛玉――もとい、マルコシアスの胸元をしきりにまさぐっている。本人がいくら『解剖学的見地』と言い張ろうとも、これでは確かに『セクハラ』と言われるのも無理はない状況である。
 ひとしきり狼の胸や背中…………ついでに腹毛やら胸毛やら尻尾やらをまさぐって……。納得したような顔のグレモリーが、ようやく掌の動きを止めた。……とはいえ、手のひらの動きは止まったものの、狼を抱きしめる腕の力が緩む気配はまるでない。どうやら解剖学的好奇心は満足したものの、少女は狼を開放する気はまるでないようだ。
 不服そうに鼻面に皺を寄せるマルコシアスの耳の付け根を指先で掻いてやりながら、グレモリーは一人で幾度も頷いている。だが…………どんなに優しく撫でられようと、どんなに心を尽して宥められようと……。『わんこ』扱いされた狼のプライドは、相当に傷ついてしまったものらしい。

 セクハラだセクハラだと主張してやまない狼に、悪魔王が唇を尖らせた次の瞬間……狼は、彼女を腹の上に乗せたまま、ぐるりと寝返りを打った。
 あまりに突然の狼の行動に、悪魔王の視界が目まぐるしく流転する。逃げる間もなく大きな身体の下敷きになったグレモリーの背中に衝撃が走り、木々の緑と宮殿の壁に切り取られた青空を背負った狼の顔が視界いっぱいに広がっていた。
 見慣れぬ風景と状況に、グレモリーの思考回路がほんの一瞬硬直する。そのわずかな隙を縫うかのように、抵抗のない身体に狼の舌が這わされた。
 その濡れたような生暖かい感触が、彼女の思考をようやく現実に引き戻す。
 ざらつく舌に体中を舐め上げられ、グレモリーはやっとのことで現状を理解できた。自分は、いつのまにか狼に押し倒されているのだ、と……。


「ひゃ、や……マルコシアス……やめ……ひうっ……!」

「喧しい、馬鹿主!人の気も知らねぇでベタベタ触りやがって……このくらい許容範囲だろ?」


 彼女よりも大きな狼の身体は、体重も彼女の倍くらいはあるのだろう。どんなにグレモリーがもがいても、圧し掛かる重さはまるで変わらない。改めて自身の上に圧し掛かる狼を見れば、その爪も牙も普通の獣よりも鋭いように思えた。
 大きな舌が少女の顔や耳、首や肩を舐め、鋭い牙が彼女の首や肩に軽く噛み付いてくる。それはまるで、じゃれ付いているようにも、愛撫しているようにも思えた。獣の姿でいるときは、獣としての本能が強く働いてしまうのかもしれない。
 肌を這う舌のくすぐったさに、狼に組み敷かれた少女が鈴を振るような笑い声を零す。時折身体をよじりながら、それでも顔に楽しげな笑みを浮かべ、グレモリーは自身の上に圧し掛かっている狼の鼻面を掌で抑えた。
 いつもであれば更なるスキンシップを求める狼も、邪魔が入ることなく主と触れ合える今は、それなりに満足しているらしい。グレモリーの手を振り払うこともなく、そのまま彼女の掌をべろりと舐め上げた。
 少女に覆いかぶさったまま、狼は彼女の柔らかな胸に顔を埋める。微かに甘い香りのするその胸は、昔と変わらず狼を受け止めてくれた。


「っ…ひゃっ……や、やだ、マルコシアス…………ちょ……苦しいの~~!!」

「お前の意見なんざ知らねぇよ。俺は、十二分に楽しいからな」

「私は楽しくないものー!!けもけもふこふこしたの抱っこしてるほうが楽しいもん~~~!!!!」

「あのな、馬鹿モリー。お前は忘れてるみたいだけどな……俺も男だからな。女に抱かれるよりは、女抱いてるほうが楽しいっつの」


 微妙に意味深な言葉を残しつつ……。前足で少女を押さえつけた狼の真っ赤な舌が、拗ねたように唇を尖らせるグレモリーの頬を、宥めるように舐め上げた。



オオカミノミルユメ



昔々ある所に、親をなくした仔狼と、
彼を拾った女の子が住んでおりました。

女の子はとても優しく仔狼の世話をしてくれましたが、
彼女はとても忙しく、仔狼の傍を離れることが多々ありました。

そんな時、仔狼は彼女と離れるのが嫌で嫌で仕方なく、
彼女の足にすがりついてきゅんきゅんと鳴き声をあげるのです。

そのたびに、女の子は仔狼の頭を撫でながら
「すぐに帰ってくるからね」と言って聞かせるのですが、
仔狼は鳴きやんでくれません。

鳴いてばかりいる仔狼のため、女の子は……。

…………女の子は…………。




















オオカミノミルユメ












 執務の終わりは、騒々しく騒ぐ鳥たちの鳴き声とともにやってきた。
 近くにある侯爵様の執務室で、恒例行事となっている夕方の情報報告会が始まったのであろう。偵察として地上に散っていた五芒星内の侯爵様の先兵たちが、口々に主であるデカラビアに情報を教えている。
 共に仕事をするようになって長い時間が過ぎた今でも、いま一つ正体の知れない彼の侯爵様の先兵は、空の上から地上を見下ろす鳥達だ。一つ一つは可愛らしく奇麗な声なのだろうが、それがたくさん集まった状態では騒音としてしかとらえることができない。
 もはや慣れたとはいえ、やはり神経に触る騒ぎに舌打ちしながら、天使のような悪魔王――クローセルは椅子から立ち上がるとぐうっと背筋を伸ばした。
 同じ姿勢で作業をしていたせいか、首や肩や腰を回す度にゴキグキという関節の鈍い悲鳴があちこちで聞こえてくる。背中に生えた一対の白い翼も、長時間にわたるデスクワークでしなびているようだ。
 すっかり鈍ってしまった身体にため息をつきながら着崩れていた衣服を整えると、クローセルは処理のすんだ書類や資料を携えて執務室を後にする。廊下と執務室を隔てる分厚い扉を閉めると、未だ終わっていないらしい報告会の喧騒もようやく聞こえなくなった。

 回廊はひどく長くひどく広く、そして妙に薄暗かった。それというのも、窓という窓に、薄く磨きあげられた宝石で作られたステンドグラスが嵌めこまれているせいであろう。神々の争いや堕落しきった世界などをモチーフにして作られたそれは、外で輝く擬似太陽の光を通し、金色を帯びた薄暗がりや、翡翠色の影、深い青と血色の赤とが織りなした二藍の闇を作り出している。
 足音すら吸い込んでしまう厚い絨毯を踏みしめながら、深く長く息を吐いたクローセルは、いまだ重苦しさの取れない肩を押さえた。痛いまでに凝り固まった筋肉に幾度もため息をつく彼の脳裏で、筋肉痛や神経痛に対する効能のある温泉がどんどん検索されていく。


「………………今度は、放射能泉でも掘りあてようかな……」

「俺は、炭酸泉の方が好きだがな」

「ああ、炭酸泉もいいよねえ……皮膚炎とかにはあれが一番――って……ちょ、ま、誰……!?」


 耳が痛くなるような静寂を切り裂いたクローセルの後ろから、思いがけなく答えが返ってきた。不意に聞こえてきたその声に、炭酸泉の存外に柔らかな湯触りを回想したらしいクローセルの頬がだらしなく緩む……が……その表情は、すぐに怪訝そうに歪められた。今さっきまで、この広い回廊には自分しかいなかったことでも思い出したのだろう。
 泡を食ったのか挙動不審なまでに周囲を見渡すクローセルの背後で、半ば呆れたような溜息とともに、一つの影が闇を揺らして姿を現した。巨大な体躯と、闇色の毛並み、そして、背中で揺れている一対の大きな翼は、クローセルにもよく見覚えのあるもので……。


「……………………っ、な、なぁんだ……誰かと思ったらマルコシアスかぁ……」

「少し落ち着け、この浴槽公爵が……温泉に浸かりすぎて仲魔の顔も見忘れたか?」

「見忘れてなんかいないよ、失礼な!………………あ、そうだ!それより、『浴槽公爵』って呼ぶのやめてよ。かっこ悪すぎだろ……」


 第七座天使の侯爵、史上最強の魔狼、戦闘爆撃凶獣、吟遊公爵の忠犬、有翼の狼、炎の氷柱……。
 元々は吟遊公爵の手で育てられた騎乗獣でありながら、発明好きな六副官によって改造され、創世記戦争において敵軍に壊滅的な被害を与えた最凶の魔獣……。
 さまざまな別称と複雑な成長過程を持つこの狼の名は、マルコシアスといった。

 恨みがましい目で自身を見つめるクローセルを鼻で笑いながら、有翼の狼はゆっくりと足を踏み出した。ただでさえ毛足の長い絨毯が足音を吸収する上に、肉球がクッションの役割を果たすせいだろう。肩高が50キュビト程もある狼が歩いても、彼の足音は全くと言っていいほど聞こえない。
 だから先ほども背後を取られたのだろう、そもそも戦闘向きでない自分が背後を取られたのも仕方がないと自分を慰めつつ、クローセルは隣に並んだ狼をそっと横目で眺めやった。
 魔狼と呼ぶにふさわしい体躯を持つ狼の頭は、彼の目線よりやや高いところに位置している。太長い尾をゆらりと揺らして歩く狼と、文字どおり肩を並べながら……クローセルは、思い出したように狼に抗議を申し立てた。だが、唇を尖らせて拗ねるクローセルの様子など、狼は全く気にしていないようだ。むしろ、子供のように頬を膨らませるクローセルの様子を、それはもう楽しげに観察しているようにさえ見える。


「……あのねぇ、マルコシアスと比べたら、僕の方が爵位は上なんだからね!目上の者の言うことには服従するべきだと思うんだけど?」

「爵位など飾りだ。目上の者にはそれがわからんと見える」

「……マルコシアス、恐ろしい子………………………………で、僕に一体何の用なの?」

「ああ。探し物を頼まれてくれ。昨日まではあったものが、さっき起きたらなくなっていた」

「……………………………………………………………………は……?」


 礼儀だの礼節だのを一刀両断に切り捨てるマルコシアスに、クローセルは本日何度目になるのか分からないため息をついた。考えてみれば、彼の横で翼を揺らめかすこの狼は、育ての親である吟遊公爵の命令しか受け入れない頑固者であったのだ。彼の嘆願などハナから受け入れられるはずがないだろう。
 無駄な議論はごめんだとばかりに話を切り上げた浴室公爵ではあったが、次の瞬間、琥珀色の彼の瞳は驚愕に見開かれることになった。
 『探し物をしてくれ』と、クローセルの傍らに立つ狼はそう言った。はっきりきっぱりしっかりばっちりがっつりと、だ。
 あれよという間に、クローセルの眉間に見る間に皺が寄っていく。あまりに想定外すぎる頼みごとに、思考回路がフリーズしかけているのだろう。
 何せ、彼の職能は水を自由自在に操ることであり、温泉を発掘することである。はっきり言ってしまえば、狼が望んでいる『失せ物探し』という職種は、彼の職能とはまるで違うところにあり、全くの不得手なのだ。むしろ、この『失せ物探し』というものは、涼しげな顔で尾を揺らす狼の主人である吟詠公爵や、竜総統が得意としている分野である。
 そうでなければ、これは願いの貴公子に頼み込むべき分野でもあった。そうすれば、元々物品の運搬を得意とする貴公子のことだ……狼が望むものを、瞬く間に彼の目の前まで届けてくれるであろう。まして、願いの貴公子……序列70番の公爵様は、盗品を奪還することも大得意としている。犯人はともかく、盗まれたものだけは取り返したいという今回のような事態にはぴったりの人材ではないか……。
 適任者がこれだけいるというのに、全くの畑違いの職能を持つ自分に、いったい何を頼んでいるのか、と……。クローセルの眉間の皺の深さが頂点に達したとき……ようやく事態に気がついたらしいマルコシアスが口を開いた。


「どうした、浴槽公爵?お前の特技はダウジングで、それを使えば何でも見つけられるんじゃないのか?」

「またまた御冗談を。僕にだって限度はあるよ…………っていうか、僕の特技がダウジングだなんて誰に聞いたの?」

「掠奪候だ。ダウジングで温泉を掘り当てられるくらいなのだから、きっと他のものも探せるだろうと聞いたぞ」

「………………………………何であの二枚舌の言うことを信じるのかな、君は……」


 怪訝そうに首を傾げる狼の言葉に、浴槽公爵は脱力したようにうなだれた。
 確かに人間界では、地下の温泉を探すときにダウジングが用いられることも間々あるという。そしてもちろん、クローセル自身もダウジングができないというわけではない……が……元々がユーフラテス川を支配するドラゴンの化身であった彼の場合、いちいちダウジングなどしなくても、地下を走る水脈の気配を感じることなど朝飯前なのだ。
 幾度か翼をはためかせる狼の横顔を見つめながら、クローセルは狼に噂の出所を問いただした。自分の特技を改竄されて吹聴されたことにプライドが傷つけられでもしたのだろう。
 だが、狼の口から噂を流した張本人の名を聞いたクローセルの肩が、今よりさらに脱力したかのようにがくりと下がった。
 掠奪候とは、クローセルやマルコシアスと同様に、ルシファーの軍門についた悪魔王の一人である。
 しゃがれた声で話すコウノトリの姿をした彼は、対象の視聴覚や理解力を奪うような撹乱系操作を得意とする侯爵様で、名前をシャックスという。だがしかし、狼にあらぬことを吹き込んだらしいこの掠奪候は、魔方陣の中にいない限りありとあらゆる嘘を教えることで有名な侯爵様でもあるのだ。恐らく、悪魔にしては珍しくまっすぐな性格のマルコシアスに、クローセルの特技がダウジングだということをでっちあげて吹き込んだのだろう。


「………………つまりは何か?俺はあのコウノトリに騙された、ということか?」

「あー……いや、ダウジングができないわけじゃないから、シャックスは別に嘘はついてないかなーって……」

「だったら、早いところ探し物を手伝ってくれ。早く、早く、早く、早く、早く、早く!!!」

「ちょ、ちょっと待ってよ!!ダウジングは、地下にあるものを探す方法なの!マルコシアスの探し物は地上にあるんでしょ?」

「その通りだが、何か?…………ということは、ダウジングは使えんということか?」

「…………あー………………まぁ、ね……」


 時折通り抜ける風に首筋の毛を逆立たせながら、ようやく騙されていたことに気がついた狼の鼻筋に深い皺が寄せられる。徐々に明るさを増していく回廊の真ん中で、クローセルは冷や汗でじっとりと湿った掌を握りしめ、マルコシアスを宥める100の方法を脳内でシミュレートしていた。
 何せ、彼の横で牙を剥く有翼の狼は、嘘をつくことも嘘をつかれることも大嫌いな変わり者なのだ。このまま放置しておいたなら、狼に嘘を吹き込んでしまったコウノトリが、焼き鳥になって晩餐の皿に載りかねない……。非常に非情な悪魔といえども、流石に仲魔の肉は食べたくないらしい。

 不機嫌そうなマルコシアスの唸り声を耳にしつつ、額に滲んだ脂汗をこっそり拭ったクローセルの視界がふと開けた。いつの間にか、あれほど長かった回廊の端までたどり着いていたようだ。右手には擬似太陽の輝く空が見える中庭が望め、左手には宮殿の深部へ繋がる回廊が続いている。先ほどから感じていた風の流れは、中庭から入り込んでいたものだろう。

 中庭は、地獄の底にあるということが信じられぬ程に美しかった。
 緑の芝生の中央には泉ほどの大きさの噴水が置かれ、中央の水盤に降り注ぐ水が細かい霧となって周囲の花々を洗っている。庭の隅では葉を茂らせた巨木が涼しげな影を作り出しており、その下には小さな東屋が置かれていた。
 急いた様子の狼がめろめろと吐きだす炎の熱にちりちりと皮膚を焼かれるクローセルが、現実から逃避するかのように中庭の風景を眺めやったちょうどその時……猫の瞳のような彼の眼に、ふと何かが写り込んだ。
 大理石でできた噴水の水盤にもたれかかるように腰を下している、よく見なれた小さな影。
 ……それは、狼の剣幕に押されるクローセルの救世主とも呼べる存在であった。


「…………っていうか、探し物があるなら、吟遊公爵に頼んだ方がいいんじゃないかなあ……?」

「……だから、その張本人が見つからんのだ……!!」

「え、うそ!?あそこ……中庭にいるのって吟遊公爵でしょ?」

「何だと!?何処だ!?!?」

「え……ちょっ、マルコシ……アッー!!!!」


 形容しがたい悲鳴とともに、中庭を指差したままのクローセルが押しつぶされた。彼の言葉に反応した狼の前足が、彼の頭を踏みつけたからだ。勢いよく下顎を床に打ちつけてしまったせいか、ぐらぐらと歪み、暗くなっていく視界の中、もう二度とこの狼の相談事には関わるまい、と……。
 そして、今日の仕事が終わったら、僕、炭酸泉を掘りに行くんだ……と、固く心に誓いながら……。
 踏んだり蹴ったりの苦労人は、狼の肉球の感触を後頭部に感じたまま、ゆっくりと意識を手放した…………。











「…………おい、そこの馬鹿主……!!」

「あらー……おはよう、マルコシアスー。もう起きちゃったの?」

「何が『もう起きちゃったの?』だ……俺がどんだけ探したと思ってんだ、このトロ魔王が……!」

「えーっと……うん……何だかよくわかんないけどごめんね……?」


 しんなりと絨毯の上に倒れ伏したクローセルを放置した狼は、水盤にもたれかかっている影に足を向ける。呆れた様な怒っているような狼の声に、アンティークレースで出来た白いベールとベルベットの黒いドレスを纏ったその影……吟遊公爵・グレモリーは、ようやく手元から顔を上げた。
 頭の位置が変わったせいか、彼女が被った黄金の公爵冠が反射した光が狼の目を射る。染みいるような突き刺さるような光の強さに瞳を眇めながら、ゆったりと尾を振る狼が自身よりも小さな少女の胸に頭をすりよせた。
 荒い口調とは裏腹に、全身で甘えてくる狼にグレモリーは一瞬瞳を丸くする……が……すぐさまその瞳は優しく細められ、白く柔らかな掌が、宥めるように狼の頭を撫で始める。
 芝生の上に直に座り込むなど、公爵とも思えぬ少女の前に寝転んだ狼は、さも当然という態度で彼女の膝に顎を押せた。
 頭を撫でられ、耳の根元を軽く掻かれ、鼻筋を指先でくすぐられ……満足そうに目を閉じる狼の鼻先が、黒く柔らかなものに触れる。その感触に呆れたようにため息をつく狼の身体から手を離し、少女は見た目の大きさに反して意外と軽いそれを手に取った。


「…………やっぱりお前が持ち出してたんだな、馬鹿主……」

「うん。ずいぶん汚れてたし壊れてたから、きれいに直してあげようと思って……」

「お前の好きにすればいい……元々は、お前が作ったモンだからな」

「あの頃のマルコシアスは、私がいなくなるとすぐに泣いちゃうんだもの……大変だったのよー?」


 くすくすと小さな笑みを漏らした吟遊公爵は、それの前足を持つとむすっとしたような狼の口元に押し当てた。柔和な笑みを浮かべる少女と同じ匂いを持つそれは、彼女が不在の時に泣き喚く仔狼を慰めるため、彼女手ずから作ってくれたぬいぐるみであった。
 少女の古いドレスを利用して作られたそれは、狼の成獣ほどの大きさがある。親を亡くしてしまった仔狼が、少しでも寂しい思いをしなくて済むようにという思いが込められていたのだろう。事実仔狼は、少女が不在の夜は彼女が作ってくれたぬいぐるみの傍らで、おとなしく眠ることができるようになっていた。
 身体は柔らかな布でできていて、血潮は綿で瞳は硝子……親獣を模した血の通わぬぬいぐるみは、常に狼の傍らにあり続け、ただの一度の紛失もなく、ただの一度の損壊もなく……遥か昔から今も狼を見守り続けている。

 瞳を閉じたままの狼からぬいぐるみを離し、少女は彼の傍らにそれを寝かせてやった。だが狼は、そのぬいぐるみには全く興味を示さない。
 てんで無関心なマルコシアスに話しかけるグレモリーの声は、どんどん小さくなっていった。少しばかり悲観主義的なところのある彼女のことだ。余計な事をしてしまったのかもしれないと、後悔と慙愧の念の渦に巻き込まれているのだろう。

 
「んと……も、もしかして、余計なこと……だった……?変なことすんな、って怒ってる?」

「いや。怒っているわけじゃねぇ……ただ、そのぬいぐるみはお前の代理品みたいなモンだろ?」

「……え……う、うん……あの時は、確かにそのつもりで作ったけど……」


 狼の傍らに寝かせたぬいぐるみを抱きあげた少女が、その頭に口元を埋めるように抱きしめる。蚊の鳴くような少女の囁きに、狼は閉じていた瞼を大儀そうに持ち上げた。今にも泣きそうなほどに歪んでいる少女の瞳を見据えたまま、狼は彼女の膝から頭を起こす。
 膝から急に重さと温もりが消えたことに驚いたらしい少女が、慌てて視線をあげた時……少女は、自分よりも幾分年嵩の男に押し倒されていた。年の頃は20代前半というところだろうか。ざっくりとした短い黒髪の間から黒い獣の耳が二つ飛び出しており、背中には、グリフォンに酷似した一対の翼が生えている。
 茫然と男を見上げる少女の瞳を覗き込みながら、男は口角を吊り上げた。

 ぽかんと口を開けたままのグレモリーの腕から、男の大きく無骨な掌がぬいぐるみを取り上げた。そしてそのまま、ぬいぐるみを彼女の手の届かぬ水盤の上に置いてしまう。少女の唇が抗議の言葉を紡ぐ前に、男は彼女の口唇に己の唇を重ね合わせた。
 一瞬、何が起こったのかわからなかったらしい少女の瞳が、男の金色の瞳と交差する。そして、数瞬の間があり……ようやく自分自身の身に起きたことを理解したのだろう。少女の瞳が驚愕に見開かれた。


「………………………………だったら……お前自身がそばにいる今は、代理品なんかいらねぇよ……」

「…………な……ま、マル…………な、なに………なんで…………」

「何でもクソもあるかよ、今日の礼だ。それより俺は、お前探しで疲れた。少し寝かせろ、馬鹿モリー……」


 ふと盗み見たグレモリーの顔は、口付けを落とした張本人が気の毒になるほど真っ赤に染まっていた。生理的なものなのか、感情の縺れなのかはわからなかったが、目尻には涙が溜まっている。盛り上がった涙を舌先で舐め取りながら、男はにぃっと唇を笑みの形に歪ませた。
 酸欠の魚のように口をぱくつかせる少女に水盤の上に置いていたぬいぐるみを押し付けると、男はぶるりと身体を震わせた。何とも情けない顔で男を見つめる少女の目の前で、男の身体が瞬く間に変わっていく。爪と牙は伸び、口は裂け、骨格がぎしぎしと悲鳴をあげて…………グレモリーが幾度か瞬きをする間に、黒髪の男は闇色の毛皮を持つ狼へと変貌を遂げていた。
 混乱の極みに達したような少女を他所に、もう一度彼女の頬を舐めた狼が彼女の膝に頭を乗せる。そのまま甘えるように下腹に鼻面を押し付けて、心底安心しきったような表情を浮かべると、そのまま静かに寝息をたて始めた。
 後に残ったのは、言いたいことだけ主張して、今はもう静かに眠る狼に圧し掛かられた少女ただ一人、である。





















 昔々ある所に、親をなくした仔狼と、
 彼を拾った女の子が住んでおりました。

 女の子はとても優しく仔狼の世話をしてくれましたが、
 彼女はとても忙しく、仔狼の傍を離れることが多々ありました。

 そんな時、仔狼は彼女と離れるのが嫌で嫌で仕方なく、
 彼女の足にすがりついてきゅんきゅんと鳴き声をあげるのです。

 そのたびに、女の子は仔狼の頭を撫でながら
 「すぐに帰ってくるからね」と言って聞かせるのですが、
 仔狼は鳴きやんでくれません。

 鳴いてばかりいる仔狼のため、
 女の子は母狼のように大きな縫いぐるみを作ってくれました。

 女の子のドレスで作られたそのぬいぐるみに抱かれていると、
 まるで彼女と母狼の両方に抱かれているようで……。

 仔狼は、彼女がいない間でも、
 鳴かないで待っていることができるようになりました

 …………それに…………。

 待ちくたびれて眠ってしまった仔狼が目を覚ませば、
 彼の身体はぬいぐるみとともに女の子の腕の中にありました。

 女の子が、眠ってしまった彼を抱いていてくれるのです。

 大好きな女の子と、女の子が作ってくれた大事なぬいぐるみと……
 二つの宝物に囲まれて、仔狼は静かに静かに眠りにつきます。




























「…………寝顔は、昔とちっとも変らないんだから…………………………おやすみなさい、マルコシアス。どうぞ良い夢を、ね……」










 警戒心の欠片も見せずに眠る狼の頭を撫でてやれば、狼の尾が緩やかに揺れる。先ほどまでの暴れっぷりが嘘のように大人しくなった、元・弟分の背中を撫でてやりながら……。
 穏やかな笑みを浮かべた吟遊公爵は、狼王の額にそっと口付けた。















プロフィール

みやうち

Author:みやうち
いあ!母なる森の黒山羊よ!
いあ!父なる混沌の媒介よ!
北狄の地に眠る、醜く蠢く肉の塊にして、のたうつ太い腕と、滑りにくい靴を好む短い脚、粘液を滴らせる大きな口を持つ。
それは、しわがれた低い声で、呪詛と歓喜を詠うであろう。

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